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「オーストラリアには価値観を押し付けたがる人が少ない」と彼は言った

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今日はバリスタクラス終わりに、クラスにたった2人の男同士でカフェへ行った。

 

相手の彼は同じ日本人で、ずいぶんとのほほんとしたキャラだ。

動きも話も、これまで会った中で最もゆっくりゆっくりする人だ。

 

ちょっとドジで、良い意味でも悪い意味でもスキだらけであるが故に親しみやすく、クラスメイトからも先生からも愛されている。

 

 

そんな彼が、コーヒーを飲みながら、「オーストラリアは、自分にすごく会っている気がする」と言った。

 

彼が感じた差 

 

なぜそう思うの?と聞くと、こっちには勝手な価値観の押し付けをする人が少ないからかな。と答えた。

 

日本では「常識やろ」「普通はこうするやろ」「当たり前」という言葉を、日常的に散々言われ続けてきて、「それって誰の常識なんだ?」と、うんざりしながら過ごしていたけれど、こちらではそんなことは全然なくて、自他がはっきりしている。

 

「私はこう思うけど、あなたがいいならいいんじゃない」という具合に。

 

そして人もなんだか随分いきいきして見える。スーツを着たサラリーマンも日本のそれとは全然違う。

 

と彼は言った。

 

“人がいきいきして見える”という点についてはぼくも同意なのだが、”勝手な価値観の押し付けが少ない”というのは、どうなんだろう。

 

それは、ぼくが2ヶ月過ごした限りでは感じたことのない日本とオーストラリアの”差”の部分であり、今まで意識したこともなかったので、ぼくはその点について何も言及できなかった。

 

ただ人一倍、他人から価値観を押し付けられてきたという彼が言うのだから、それは一つの事実なのかもしれない。

 

心が貧しく、弱い人間ほど、人のスキにつけこむのが上手だし、他人に自分の価値観を押し付けたがる傾向があるとぼくは思うが、 彼が感じたことが正しければ、日本には少なくともオーストラリアよりも心が貧相な人間が多くいるのかもしれない。

 

だとすれば、日本の何がそんな”生きにくさ”を生んでいるのだろう。

根底にあるものは一体何だ。

 

正直、まだぼくにはわからないけれど、今日はその”差”が存在している可能性に気づけた日だったので、今後その点について気づいたことがあったらまた書いてみようと思う。

 

 

 

それではまた!