BBCニュースが取り上げた"日本の若者のセックスレス事情"から見えるもの
先日BBCニュースを眺めていたら、こんな記事を見つけた。
セックスが恋愛関係におけるゴールだとは思わないし、今日ここでその”あり方"について述べるつもりもない。
ただ、このニュースを見て感じたことは、他者との深い関わり合いを避ける人が増えている、
違う言い方をすれば、他者との関わり合いの中で生じうる"痛み”を恐れて、それを避ける人が増えているのではないかということだ。
そこにあるのは、
"傷つくくらいなら、最初から関わらないでおこう”
"失敗するくらいなら、最初から行動しないでおこう"
というような、そんな消極的な価値観なのではないか、と思う。
自信がなく、打たれ弱いぼくらの世代
ぼくは平成元年生まれで、いわゆる"ゆとり世代”と呼ばれてきた世代の先頭を走ってきた人間だけれど、ぼくらはとにもかくにも打たれ弱く、自分が非常に大事で、傷つくことを異常に恐れている。そんな世代だと思う。
失敗したり、間違えたり、ちょっと他人から否定されたりしたら、すぐに落ち込んで、自分が無価値な気がしてしまう。
なので、傷つかないように傷つかないようにしているか、もしくは、他人の行動や発言を馬鹿にし、自分の正しさを示し、"自分は正しくて価値がある"と思い込むことに一生懸命な人が沢山いるように思う。
自分自身はどうか
ぼくがこれらのことを感じることができるのは、何よりもぼくがそういうタイプの人間だからなのだと思う。
人からどう思われるかを気にし、どこかで自信が持てないでいるのは、他でもない、自分自身だ。
「相手の態度が〜、言い方が〜」と、相手が自分をどういう風に扱っているかを気にして本質を見失ってしまったり、
失敗したり、間違えたり、人と違ったことをしたりして、批判されたり笑われたりすることが気になってしまうことが時々ある。
ぼくはバリスタとしてカフェで働いているけれど、目の前でテイクアウェイのコーヒーを待つお客さんに「How are you today?」と聞けるようになるのも、随分と時間が必要だった。
そこにあったのは、 "英語で話しかけて、返ってきた答えが理解できずに気まずい思いをしたくない(傷つきたくない)から、いっそ最初から話し掛けないでおこう" という、上で述べたような消極的な理由だったように思う。
海外生活における、人との関わり合いから感じること
メルボルンで生活をし、ルームメイトや同僚やお客さんや友達など、日本人以外の他者と関わる中で、彼らの強さを感じることが度々ある。
例えば、彼らは失敗したり間違えたりしても、いつも他人事のように笑っているし、大勢の前でも自分の意見を躊躇なくポンポン言う。
細かいことにこだわっていちいち落ち込んだり、他人からどう思われるかを執拗に気にする人は、日本人よりも少なく見える。
そういう人たちは、そもそも失敗することや人と違うことに”良い/悪い”という価値を置いていないのだろう。
失敗したり間違えたり、他人にどうこう思われることを気にしたりしないので、自分のやりたいことをどんどんやっていける。
そんな彼らの強さを、この海外生活の10ヶ月間で見てきた。
ぼくらが彼らから学べること
"足並みを揃えることが美であり、失敗することは非常に大変なことだと教えられ、なぜ足並みを揃えないといけないのかについては、よく考えさせない"
学校や、もしかしたら親からも、そんな教育を受けてきたぼくらだけれど、足並みを揃えることを少しやめて、立ち止まって、考えてみたい。
すると、必ずしも足並みを揃えることが正しいとは限らないことや、実は違っていることも美しいこと、失敗することは実は大したことはなく、案外平気であるという事実に気づくのではないかと思う。
ぼくの英語力が最近グンッと伸びた理由
さて、ようやくタイトルと結びつくわけだけれど、ぼくは最近急激に英語力が伸びたと自分で感じている。
そのきっかけは上で述べたような、"あれ?間違えても全然大丈夫やん"
ということに気づいたことからだった。
このことで、ここ数週間で、急にお客さんや同僚との距離がグッと近づいたと感じているし、仕事も今まで以上に楽しくなってきた。
そんな風に、転んでも案外平気なことに気づくことが、英語の上達だったり、生きやすさだったり、そういうことを少し楽にしてくれるキーだったなと最近感じている。
セックスレスの記事からすごい話の展開になってしまったが、今日は以上だ。
それではまた!
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