先日、ワーホリでの2年間が終わり、帰国しましたtabikuraです。
率直な感想として、海外生活を終えて少しホッとしてます。
ワーホリは修行だった
オーストラリアでの1年間、ニュージーランドでの1年間、計2年間を海外で生活しましたが、ぼくはワーホリは修行だと思って過ごしていました。
腹を抱えて笑ったことも沢山ありましたが、それ以上に頭を抱えて悩んでいたことのほうがずっと多かったように思います。
それでも、新しい価値観に触れる機会が毎日あって、自分の成長を感じられる、人生が変わった2年間でした。
- メルボルンでコーヒーにどハマりしたワーホリ1年目
- 自分の甘さに気づけた、ニュージーランドでのワーホリ2年目
- 海外でも相手に「空気を読んでほしい」と思ってた自分
- 「空気を読まない力」と「対人関係に踏み入る勇気」がぼくらには必要
- 帰国、そしてこれから
メルボルンでコーヒーにどハマりしたワーホリ1年目
1年目はメルボルンのスペシャリティーコーヒー文化との出会いがありました。
まさに未知との遭遇です。
「世界一周するための資金稼ぐぞ!」と意気込んで乗り込んだオーストラリアでしたが、街を歩くと周りにはカフェカフェカフェカフェだらけ。
しかも、どこも人が集まって混雑していて、活気に溢れるその圧倒的なコーヒー文化に魅了され、気がつけば自分の両脚ともそこに突っ込んでいました。
憧れだったバリスタになり、マシンの前に立てるようになってからも、ひたすらコーヒーのことを考える日々。
素早く・効率良く・コンスタントに・良いコーヒーをお客さんに提供するスキル、ミルクのスチーミング、ラテアート、リベリング、タンピング、レシピ作成、パレットの鍛錬….
学ぶことは無限にありました。
もっと経験を積みたいと、週のスケジュールを掛け持ちの仕事で埋めたり、マネージャーにお願いして系列の他のカフェで働かせてもらったりもしました。
最大で3ヵ所のカフェを掛け持ちで働いたりもしましたが、そんなことをしているうちに10ヶ月間で10ヶ所のカフェで働いていました。
そのうちの3回ほどは英語力又はスキル不足が原因で、クビも経験したので、何度も落ち込みました。
でも、ローカルカフェで働くことの厳しさも痛感できました。
新しいバリスタと働くと、常に新しい学びがありましたし、みんな違うことを言ってるので、どれが正しい情報なのか、情報の精査や理論の裏取りが必要で、それも大変勉強になりました。
また、メルボルンの街では、カフェ・コーヒーロースターの競争も非常に激しく、それぞれが隣との違いを作り出そうと努力し、個性を発揮し合っていたので、コーヒーの文化には多様性がありました。
浅煎り〜深煎りまで、コーヒーの味わいの違いを大いに楽しむことができました。
ありがたいことに、コーヒーのテイスティングイベントも毎日どこかで行われていたので、そこになるべく参加してパレット(味覚)を鍛えたり、そこでバリスタと情報交換をして、色んなこと教えていただいたり。
コーヒーのキャリアをスタートするのに最高の環境だったと思います。
気がつくと世界一周の熱は冷めていましたが、そのかわりに、一つの街、一つのカフェにとどまって、コーヒーを通じて様々な人と長く付き合ってみたいと思うようになっていました。
自分の甘さに気づけた、ニュージーランドでのワーホリ2年目
メルボルンで1年を過ごした後は、2年目の舞台をコーヒーの街として知られるニュージーランドの首都ウェリントンに移しました。
ここでもバリスタとして働き、コーヒーについてもたくさん学びましたが、人間関係でとても悩んだ1年間でした。
コーヒーだけ作っていれば良かった1年目のメルボルンとは違い、オーダー・レジ・配膳・皿洗いは全部やりましたし、ヘッドバリスタや一人営業も経験しました。
そうなると、同僚ともたくさんコミュニケーションをする必要があったんですが、ここで問題がありました。
噛み合わないんですね。
ぼくが"今しなくていいと思うこと"を同僚がやっていたり、逆に"今してほしいこと"が伝わっていなかったり、コーヒーに対する考え方が合わなかったり。
ぼくが一緒に働いたメルボルンのバリスタたちとは何かが違うと感じ、
「同僚が仕事できなさすぎる..」
「メルボルンのプロフェッショナルなバリスタたちが恋しい..」
なんてボヤいてましたが、ある日ふっと気づいた瞬間がありました。
「自分の考えをきちんと伝えることもせずに、価値観も文化も違う他人が期待通りに動いてくれないからといって、怒る。間違ってるのは、俺じゃないか?」
海外でも相手に「空気を読んでほしい」と思ってた自分
日本には「空気を読む」という一種の文化があります。
「相手の気持ちを汲み取って、その希望通りに動いてあげる」
という、ホスピタリティーとしては素晴らしい考え方なんですが、これが当たり前になってる節があると思うんです。
そうなると、「空気を読んで動くこと」に長けている人は評価されますが、そうでない人は「非常識」「仕事ができない」「普通に考えて、ありえないことをする」というようなレッテルを張られがちです。
そもそも"自分の考えが正しい"という考えが間違っている可能性だって十分にあるはずです。
これって、どうなんでしょう?
育ってきた環境も、歴史も価値観も違う相手に、自分の考えを伝えることもせずに勝手に期待して、勝手に裏切られ、そして失望する。
数年前に話題になったアドラー心理学では、これを「他者への依存」という風に表現していましたが、その通りだと思いました。
「信頼」と「依存」は別物です。
— アドラー心理学サロン (@adler_salon) 2018年10月30日
信頼して頼りにしているからと、相手に期待し過ぎてはいけません。
勝手に人に期待して、思い通りににならないとがっかりして怒ってり悲しむ。
これは「信頼」ではなく「依存」です。
相手が何をするのかは相手の課題であり、あなたには介入できません。
自分の考えは、相手に伝えない限り、わかってもらえないんです。
そして伝えても、わかってもらえるとは限らない。
これを本当の意味で、自分の経験として気づいたときに、ぼくは自分の甘さを恥ずかしく感じましたし、自分の今までの振る舞いを思い返したときに、本当に落ち込みました。
「空気を読まない力」と「対人関係に踏み入る勇気」がぼくらには必要
「他人にすぐに期待する自分の甘さに気づく」
これを受け入れれるようになったからと言って、この甘ったれ根性がすぐに直ったわけでもないのですが、
「あ、また人に期待してる」
「あ、また」
というのを、その瞬間 瞬間で気づけるようになりました。
同僚との仕事も、ずっとやりやすくなりました。
これはぼくの周りの同僚たちが人種も文化も価値観も母国語も違う人間であったからこそ、その"違い"を強く意識することで、ようやく気づけたことでした。
しかし実際は日本人でも同じことなんだと思います。
みんながみんな、価値観も考え方も違いますし、育ての親が同じである兄弟ですら、考え方は異なります。
その"違い"に歩み寄ろうとすることもせず、「常識」とか「普通は」とか「空気が読めない」という言葉で誤魔化して、対人関係で傷つくことから逃げていては何も変わりません。
大切なのは、「なぜそうするのか」を相手に聞いて、「どうしてほしいのか」を伝える、相手としっかり向き合うことだと、最近は思うようになりました。
これは、海外生活で得た、一番大きな価値観だったように感じます。
帰国、そしてこれから
そんなニュージーランドでの1年間を終えて、数日前に帰国しました。
感傷に浸る間もなく、バタバタと本当に忙しい帰国でした。
今後は色々とプランもあり、熱も冷めた世界一周の夢はあっさり断念して、日本で頑張ることに決めました。
消防士を辞めた2年前は、こんな記事も書いていたので、恥ずかしいですけどね。笑
この2年間で自分の人生の一部となったコーヒーと英語は、今後も何らかの形でずっと携わっていきたいと考えています。
仕事は、ある外資系企業への入社が決まりました。
今まで学んできたことを生かして、新天地で頑張ろうと思います:)
また、旅ブログとして始めよう!と立ち上げた当ブログですが、
今後は「英語・コミュニケーション・コーヒー」をテーマに細々と続けていこうと思います。
とりあえず、「ワーホリ」というブログの中の一つのコンテンツは、この記事でおしまいです:)
このブログを通じて、コーヒーを飲みに来ていただいた方、本当にありがとうございました。
今後もワーホリの相談は気軽にしていただいて大丈夫なので、気軽にコメントください。
Twitter(@tabikuralog)もやっております。
それではまた。