ブログは基本的に「です・ます調」が良いです。
メインの記事が「○○の方法」とか「○○の紹介」とかなら、それはもうなおさらです。
これは日本語の上下関係意識が強いことによる性質だと思うんですが、
人に自分の考えやHow toを共有・紹介するときに、「だ・である調」を使うと、
送り手は上・受け手は下のような「上・下の関係」の印象が暗に示されてしまい、
文章の担い手は少しエラそうな印象を与えてしまいがちです。
ブログを訪れてくれる読者のほとんどはGoogleとかYahoo!とかの検索エンジンからやってきます。
自分のことになんて興味のない他人です。
誰もがその文章の担い手を知っているような、成功者のブログや本なら話は違うのでしょうけれど、
何者でもない人間が綴る「だ・である調」の、How toを語るような文章は、何となく共感しづらいのではないでしょうか。
しくじり先生 俺みたいになるな
最近まで"だ・である調"で書いてた
ぼくはつい最近まで「だ・である調」でブログ記事を書いていました。
その理由は、「自分が経験したことを淡々と文章にする、日記形式のブログにしよう!」と、ブログ開設時にコンセプトを決めたことが始まりでした。
京都のゲストハウスで生活していた頃の記事は主に日々の生活などについてで、
「だ・である調」の日記スタイルのブログは順調に進んでいったのですが、
次第に、効果があった英語学習方法や、ワーホリでバリスタになった方法、
ついにはバリスタのちょっとしたテクニックなど、
いわゆるHow to系の記事を書くようになりました。
読み返して感じていた違和感
一度「だ・である調」で書き始めたブログ記事たちなので、もう一貫しちゃおうと、
How to系の知識や本の紹介なども、全て「だ・である調」で書いてみたのですが、
「これはこうしたら上手くいくだろう」
「○○することをオススメする」
「○○できればokだ」
といった言葉遣いに、自分で読み返したときに何か違和感を感じるようになりました。
「これ、初めて出会う読者に寄り添ってる文章なのかな?」と。
読者は8割が初対面。日本語は日本語らしく初めましては敬語が良い
それでも何故か「だ・である調」は自分のスタイルのような気がして、なかなか辞めれなかったのですが、
あるときスパーンとやめてみました。
アクセス解析を眺めていたときに、アクセスの8割が新規の読者であることに改めて注目し、リアルな生活を想像してみたときに、
「初対面で何の関係性もできていない人に対して、自分が伝えたい何かを共有するときに、いきなりタメ口(しかもだ・である調)では話さへんな〜」
と思ったからです。
また、これは文章表現の変更だけが原因ではないと思いますが、
表現を「です・ます調」に変えてから、この1ヶ月でセッション率は15%アップ、直帰率は5%下がりました。
日記形式のブログは「だ・である調」でも全然ok
先ほども少し触れましたが、日記形式のブログは例外で、「だ・である調」のほうがテンポが良く読めたり、違いを作れて面白いと思います。
そこにあるのは誰かの日常を読者が覗いて見るというような形体なので、ぼくはその人の文章が何調であろうが全然気になりません。
大事なのは読者に寄り添えているかどうか
しかし、「です・ます調」でも読者の気持ちに寄り添えてない文章は読まれないんだろうなあと思います。
文章を書いていると、時々自分のナルシズムが暴走し、「他人にすごいと思ってもらいたい」みたいな表現をしてしまうことがあります。
そんな文章は読者のためではなく、自分のために書いた文章なので、読んでもらえません。
読者に共感してもらえるような正直な文章を、How to系の記事はなるべく再現しやすい内容を、具体的に書いていきたいなと思います。
今日は以上です。
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